Masuk星空のしおりをもらってから数日後。 帝人さんの机の上は、いつもの仕事用の資料で埋まっていた。 休日にプラネタリウムへ行った人と、今目の前で複数社の業績資料を同時に確認している人が同一人物だということにも、もうあまり違和感はない。「帝人さん、四半期報告の追加分です」「ああ。そこに置いてくれ」 私は資料を机の端へ置いた。 皇グループ傘下の各社から集められた定例報告で、今回は大きな問題もないと聞いている。実際、先に目を通した限りでは、ほとんどの会社が計画の範囲内だった。 その中でも、一社だけ数字がかなり良かった。 皇グループ傘下で施設管理や法人向けサービスを手がける皇ビジネスパートナーズ。ここ一年以上、売上も営業利益も目標を上回り続けている。「ここ、すごいですね」 私が言うと、帝人さんの手が止まった。「どこだ」「皇ビジネスパートナーズです。今期も目標超えてますよ。利益率も上がってますし」 普通なら褒めるところだと思った。 でも帝人さんは資料を受け取り、数字を一つずつ確認したあと、なぜか別のページを開いた。「小春、過去二年分も出せるか」「ありますよ。ちょっと待ってください」 共有フォルダから過去の報告を開き、必要な部分をまとめて表示する。帝人さんは売上だけでなく、人件費、設備投資、離職率、顧客対応件数まで順番に追っていた。「……何かあります?」「まだ分からない」 そう言いながらも、目は止まらない。「売上は六四半期連続で計画超過。営業利益率も上がっている。ここまではいい」「ですよね」「設備更新費は?」「前年同期比で一八%減です」「研修費も下がっているな」「十二%ですね。でもコスト削減が進んだなら、それも良いことなんじゃないですか?」「理由が説明できればな」 帝人さんは次のページへ進んだ。
週が明けた月曜日。 昼休みを少し過ぎた頃、私は帝人さんの机へ確認済みの資料を持っていった。「帝人さん、午後の会議資料です。法務から戻ってきた修正版も入れてあります」「ああ。そこに置いてくれ」 帝人さんは別の書類を確認していたので、私は邪魔をしないよう資料を置き、自分の席へ戻ろうとした。「小春」「はい?」「それ」 帝人さんが私の手元を見る。 何だろうと思って視線を下げると、持っていた本から星空のしおりが少しだけ覗いていた。「ああ、これですか?」「使っているんだな」「使いますよ。せっかくもらったんですから」 そう答えると、帝人さんがほんの少しだけ眉を寄せた。「せっかく俺が渡したから使っているのか?」「違いますよ」 思ったより真面目な聞き方だったので、私は本を閉じてしおりを見せた。「気に入ったから使ってるんです。昨日から読んでる本にちょうど使いたかったので」「そうか」 帝人さんはそれだけ答えて、また手元の資料へ視線を戻した。 でも、さっきより少しだけ機嫌が良くなったように見える。「帝人さん、もしかして心配してました?」「何をだ」「私が、もらったから仕方なく使ってるんじゃないかって」「仕方なく使わせても意味がないだろう」「ちゃんと気に入ってますよ。星も可愛いですし、昨日のプラネタリウムも思い出せますし」 帝人さんが再び顔を上げた。「ならいい」 本当に。 それでいいらしい。 高価でもないし、特別珍しくもない小さなしおりなのに、私が気に入ったという事実だけで納得している。 少し前の帝人さんなら、「それならもっと質のいいものを」と考えていたかもしれない。「そういえば帝人さん」「何だ」「この前の定規、どうしたんです?」「あれ
プラネタリウムを出たあと、私たちは同じ施設の中を少し歩いていた。まだ夕食には早く、帝人さんも急いで帰るつもりはないらしい。「何か見たいものはあるか」「今日は帝人さんが決める日じゃなかったんですか?」「プラネタリウムは終わっただろう。その後まで俺が全部決める必要はない」「そういうところは意外と律儀ですよね」「何がだ」「役割分担が終わったら、ちゃんと返してくるところです」 帝人さんはよく分からないという顔をしたけれど、私はそのまま近くの書店へ向かった。 大型の店舗らしく、一般書だけでなく文具や雑貨まで扱っている。特に欲しい本があるわけではなかったので、新刊を眺めながらゆっくり歩いていると、帝人さんも少し離れたところで本棚を見始めた。 美術館へ行った時にも思ったけれど、帝人さんは本を選ぶ時、仕事の資料を見る時とは少し違う。必要な情報を探すように次々と手に取るのではなく、タイトルを眺め、気になったものだけを開いている。 私は小説の棚を一通り見たあと、文具コーナーへ移った。 ノートやペンに混じって、金属製や革製、花や動物をかたどったしおりが並んでいる。その中に、星空を描いた細長いものがあった。 さっき見たばかりだからだろうか。 少し気になって手に取ったものの、今使っているしおりがある。わざわざ買うほどではないと思い、私はそのまま棚へ戻した。「それはいらないのか?」 後ろから声がして振り向くと、帝人さんが立っていた。「見てたんですか?」「今戻しただろう」「ちょっと気になっただけです。しおりは持ってるので」 そう答えて別の棚へ行こうとすると、帝人さんが私の戻したしおりを手に取った。「帝人さん?」「これか」「そうですけど」 星空の中に小さな月が描かれている。特別珍しいものでも、高価そうなものでもない。 帝人さんはしばらく眺めたあと、何でもないように言った。「小春に合いそうだな」
翌週の土曜日。 帝人さんから届いた連絡には、待ち合わせの場所と時間だけが書かれていた。 行き先はない。 前回、「次は俺が決める」と言っていたからだろうけれど、何も教えてくれないところを見ると、どうやら本当に当日まで秘密にするつもりらしい。 ただし。『普通の規模でお願いします』 念のため前日に送った私のメッセージには、『分かっている』 と返ってきていた。 その言葉を信じていいのかどうかは、少し怪しい。「帝人さん、おはようございます」「ああ。時間通りだな」「そこは普段の仕事と同じなので。それより、本当に普通ですよね?」「まだ疑っているのか」「帝人さんの普通と私の普通が同じとは限らないので」 私がそう言うと、帝人さんは少しだけ眉を寄せた。「今日は貸し切っていない」「その確認が必要になる時点でおかしいんですよ」「建物も買っていない」「そこまで聞いてません!」 思わず声が大きくなる。 周囲の人に見られてしまい、私は慌てて声を落とした。「もういいです。とりあえず行きましょう」「ああ」 帝人さんが歩き出す。 駅から十分ほど歩いて着いたのは、大きな複合施設だった。 映画館や飲食店、書店などが入っているようで、休日らしく家族連れやカップルで賑わっている。「ここですか?」「この中だ」 ますます分からない。 帝人さんについてエスカレーターを上がり、案内表示を見たところで、ようやく目的地が分かった。「……プラネタリウム?」「ああ」 予想していなかった。「どうしてここに?」「小春が自分では選ばなさそうだからだ」「それだけですか?」「それだけではない」 帝人さん
オムライスとハンバーグを食べ終えて店を出る頃には、昼時の行列もずいぶん短くなっていた。 帝人さんは結局、約束通り私のハンバーグを一口だけ食べ、自分のオムライスも私に一口分けてくれた。どちらが上かを決めようとしなかったので、今日はちゃんと休日として食事ができたらしい。「帝人さん、このあとどうします?」「決めていない」「本当に今日は徹底してますね」「何も決めずに来たんだから当然だろう。ただ、小春が行きたいところがあるなら付き合う」 そう言われて、私は少し考えた。 せっかく何も決めていないのなら、普段の帝人さんなら自分から選ばなさそうな場所へ連れていくのも面白いかもしれない。「じゃあ、今度は私が決めてもいいですか?」「ああ」「文句なしですよ?」「行き先も聞いていないのに、なぜ先に文句を封じる」「帝人さん、着いてから『ここで何をするんだ』とか聞きそうなので」「必要なら聞く」「それです」 私は笑いながら、商店街の脇道へ入った。 十分ほど歩いた先にあるのは、大きくも新しくもない文具店だった。学生向けのノートや筆記具だけでなく、少し変わった便箋やシール、小さな雑貨まで置いている。以前この近くへ来た時に偶然見つけて、それから何度か一人で寄っていた店だ。「ここです」 帝人さんが看板を見る。「文具店?」「はい」「何か買うものがあるのか?」「ありません」 予想通りの顔をされた。「買うものがないのに入るのか」「見て、何か欲しいものがあったら買うんですよ」「順序が逆じゃないか?」「休日なのでいいんです」 帝人さんはまだ完全には納得していないようだったけれど、何も言わずについてきた。 店内には色違いのペンやノートが所狭しと並んでいる。私は新しく入った便箋を眺めたり、猫の形をしたクリップを手に取ったりしながら、ゆっくり棚を見て回った
商店街を適当に歩いているうちに、昼を少し過ぎていた。 さすがにお腹も空いてきたので、そろそろ何か食べようという話になったものの、今日は店を決めずに来ている。 帝人さんは周囲を見回しながら、いくつかの店先を確認していた。「小春、何が食べたい」「それを今から決めるんですよ。帝人さんは?」「特にない。小春が食べたいものでいい」「それだと私が全部決めることになるじゃないですか」「では、互いに候補を一つずつ出すか」「急に会議みたいになるのやめません?」 思わず笑うと、帝人さんは少し不満そうな顔をした。 結局、店を決めたのは私でも帝人さんでもなかった。 少し先から漂ってきた匂いに、二人そろって足を止めたのだ。 昔ながらの洋食屋らしく、店頭にはハンバーグやオムライスの写真が並んでいる。ただ、昼時を少し過ぎているのに、外にはまだ十人ほどの列ができていた。「ここ、人気なんですね」「らしいな」「どうします?」 何気なく聞いた。 帝人さんなら、別の店を探そうと言うと思ったからだ。 けれど帝人さんは、店頭のメニューをしばらく眺めたあと、そのまま列の最後尾へ向かった。「並ぶぞ」「いいんですか?」「何がだ」「待ちますよ?」「見れば分かる」「帝人さん、前なら絶対ほかの店探してませんでした?」 私が言うと、帝人さんは少し考えた。「一人ならそうする」「ですよね」「だが、小春といるなら別に急ぐ理由もない」 また。 この人は。 どうして、こういうことを普通の顔で言うんだろう。「……そういうの、さらっと言いますよね」「何がおかしい」「何でもありません」 私は帝人さんの隣に並んだ。 列は思ったよりゆっくり進んだ。 途中







